●生い立ち●

出生〜幼年時代
 昭和14年11月、加賀八幡の農家に6人兄弟の長男として生まれる。

 「生まれたときの体重は3000gほどあって、ちょっと大きめだったらしい。
 物事をきちんとやり遂げる人間になってほしいと、父親が徹と名付けて
くれた。姉が三人、そして弟と妹がひとりづつ。貧しかったが温かい家庭
だったと思う」

小学校時代
 当時の友人によると、正義感の強い子供だったとか。民主教育を
 日本で初めて受けた世代でもある。

 「家にウシが2頭いてね。えさの草刈りと散歩が日課だった。い草の手伝いも
よくさせられたなあ。今となっては遠い日の思い出だけど、遊びたい盛りの
当時はいやでいやで仕方がなかった(笑)」

●志を立てる●

中学校時代
 今は廃線となった鵜川遊泉寺電車で芦城中学に通う。
 通学の時間は友達といろんな夢を語り合う貴重な時間
でもあった。

 「数学と理科がわりと得意で、将来は建築技師になりたいと
思っていた。戦後の復興に向けて社会全体がエネルギーに
あふれている中で、友だちと多くの夢を語り合った時代だった」

高校時代
 家の仕事である農業の手伝いと勉学の両立に励んだ時代。

 「男手の不足のために部活動をする時間的余裕はなかった
けれど、充実した高校生活だったと思う。楽天的だったしね(笑)。
わずかな時間をさいては、模型飛行機づくりに熱中したね」
 

●行政の道へ●

石川県庁へ入庁
 高校を卒業するとともに県庁に入庁し、行政マンの道へと歩きだした。第一歩となる職場は県教育委員会だった。

 「県職員として世のため人のために尽くすことを心がけた。初任給は6000円くらいだったかな。洋服代に苦労したのを覚えている(笑)。同僚たちと山登りに挑戦したのも楽しい思い出の一つ」

行政マンとして努力
 県庁のいろいろな部署で経験を積みつつ、住民福祉の向上と地域社会の振興発展に努力を重ねていく。

 「みんなから信頼され好かれるように努力した。部下に対しては何にでも相談に乗ってやれるやさしい管理職を目指した。やさしく、厳しく、時には酒席に誘って、ね」

●ふるさと小松へ●

小松市助役に就任
 平成4年の人事異動で小松市へ。長年の行政経験をふるさとで活かす時が来た。

 「家族は意外と冷静で、とくに喜ぶというわけでもなかった。私もつとめて冷静に、県の人事異動の一環としてとらえた。内心ではふるさとに貢献できる喜びでいっぱいだった」

小松市長に当選
 平成9年、小松市長に当選。前市長の辞任が背景にあったのは、記憶に新しい。

 「当選してうれしいと感じるまでにはだいぶ時間がかかりました(笑)。さあ、どうやって信頼を回復して行こうかと。それで頭がいっぱい。結局、真面目に地道にやっていくしかほかはなかった。最近ようやく蒔いた種の芽が出始めて、市長だという喜びが持てるようになってきました」